【歴史散歩】

平成30年 春の歴史散歩「豪徳寺・松陰神社方面へ」

豪徳寺・松陰神社方面
豪徳寺・松陰神社方面

「豪徳寺・松陰神社方面へ」 (竹村紘一)

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秋の歴史散歩レポート (小林道子)

4月7日(土)竹村紘一会長の案内で、恒例の歴史散歩を実施した。明け方まで嵐のような天候で心配していたが、午前には天気も回復した。
集合場所の小田急線豪徳寺駅には参加者11名が集まり、豪徳寺から松陰神社まで世田谷の名所を散策した。

豪徳寺→世田谷城址公園→大場代官屋敷・世田谷区立郷土資料館→松陰神社

午後1時半に豪徳寺駅を出発し、商店街と住宅街を抜けて豪徳寺へ。
豪徳寺は世田谷城主吉良政忠が文明12年(1480)に亡くなった伯母の菩提のため、臨済宗弘徳院として創建したと伝えられる。

天正12年(1584)、門庵が住職となり曹洞宗に改めたが、寛永10年(1633)、世田谷領が彦根藩領となり豪徳寺が井伊家の江戸における菩提寺になったことから、寺号を藩主井伊直孝の法号より豪徳寺と改号した。境内には三重塔・梵鐘・石灯籠二基・仏殿木像五体など、数多くの文化財がある。

この寺には招き猫伝説があり、一説によると招き猫発祥の地とされている。猫を祀った「招福殿」の横には無数の招き猫が奉納されていたが、あまりの数に驚いた。豪徳寺の招き猫は右手を上げたシンプルな猫である。

六地蔵の奥に彦根藩井伊家の墓所(国の史跡)があり、桜田門外の変で水戸浪士に暗殺された井伊直弼の墓(都史跡)もある。井伊直孝や井伊直弼の墓に手を合わせた後、世田谷城址公園に向かった。

かつてこの公園には武蔵吉良氏の居城世田谷城が存在し、豪徳寺は本丸だったと考えられる。天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に世田谷城も陥落した。

世田谷城址公園を後にして「世田谷ボロ市」で有名なボロ市通りを歩くと、大場代官屋敷の茅葺きの門が見えてきた。
大場代官屋敷は江戸時代彦根藩井伊家の代官を務めた大場家住宅兼役宅である。寛永10年(1633)、世田谷領が彦根藩領になったとき代官に任じられ、明治維新まで官職を世襲した。茅葺き屋根の主屋と表門が、国の重要文化財に指定されている。

代官屋敷に入ると大きな玉樟(タブノキ)が目に入り、手入れのゆき届いた樹木が私たちを迎えてくれた。
世田谷区立郷土資料館は代官屋敷と同じ敷地にあり、23区初の公立地域博物館だそうだ。世田谷地域の歴史民俗資料の保存や収集研究を行っている。収蔵品は旧石器時代から弥生時代までの土器のほか、大場家に残る文書などがある。

2F常設展示室では原始・古代・中世・近世・近代・現代の資料が豊富に揃い、歴史を学ぶ歴研メンバーも十分満足できた。最後に訪れた松陰神社は幕末の思想家吉田松陰を祀る神社だ。

小塚原で処刑後、遺体をこの地に運んで神社が建てられた。ここで邪馬台国の会会長の内野勝弘さんと合流し、復元された松下村塾(土日の日中公開)の見学と吉田松陰の墓参りをした。

神社から松陰神社前駅まではお洒落なカフェや美味しそうなパン屋が並ぶ商店街を歩き、世田谷線に乗って終点の三軒茶屋駅を目指した。懇親会の会場は三軒茶屋駅南口側にある居酒屋「村さ来」で行い、内野勝弘さんを含む11名が参加した。

ここではお酒や料理を楽しみながら今日のコースを振り返り親睦を深めた。
(小林道子)

参加者(五十音順 敬称略)
浅見・岩本・川瀬・久保・小林(道子)・杉本・竹村・橋本(和子)・持田・横山・渡邊
途中参加内野勝弘氏(邪馬台国の会会長)

平成29年 秋の歴史散歩「静寛院宮(皇女和宮内親王)様奉賛法要へ」

平成29年秋の歴史散歩

「静寛院宮(皇女和宮内親王)様奉賛法要に参列して」 (竹村紘一)

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秋の歴史散歩レポート (小林道子)

10月2日(月)、今回は増上寺大殿で行われた「静寛院宮様奉賛法要」に参列した。公武合体の象徴として天皇家から十四代徳川家茂公に降嫁した、和宮親子(ちかこ)内親王の法要である。

案内人は平成27年9月に『静寛院宮様御一代記』を出版され、静寛院宮様の法要には何回も参列しておられる当会会長の竹村紘一氏だ。増上寺の歴史についても大変詳しい。

ひと雨ありそうな空模様だったが、参加者の日頃の行いが良いのか最後まで傘は必要なかった。

参加者は横浜歴研、史友会、江戸の歴史研究会、シニア活動の森など他団体からの参加者もあり、33名と大盛況だった。午後1時から法要が行われる大殿本堂ではお寺で席を用意してくださっており、予定より参加者が増えたにもかかわらず、まとまって座ることができた。

今回の法要は大僧正の八木季生様が所用で不在であったため、代理で友田執事長が勤められた。徳川恒孝(つねなり)氏と夫人、そして和宮様の母方の御実家である橋本家からも関係者が参列されていた。

淑徳中学校・高校の聖歌隊による仏教聖歌や和宮様を讃える歌の合唱があった。白いブレザーにベレー帽が伝統のユニホームだそうだ。雅楽演奏に続き、友田執事長の読経や僧侶たちの迫力ある読経を拝聴することができた。

徳川宗家や橋本家ら関係者が焼香され、その後に一般参列者も順番に焼香した。(当会のふたりの橋本さんは一般席での焼香)

法要が終わると、増上寺別当最勝院の村田洋一住職による「徳川家の姫たち」という記念講演があった。二代秀忠公の正室お江や十四代家茂公正室和宮様など、歴史研究会に加入している私たちにとって、大変興味深い話だった。

法要がすべて終わってから、本日参加した私たちは特別に来賓室へ案内していただき、お茶とお菓子の接待を受けることが出来た。これは今までになかったそうで、竹村会長はとても感激されていた。

4時半から二次会の予定をしていたので、それまでは自由に境内を散策し、徳川家墓所参拝や宝物展示室の見学をした。増上寺では2011年秋に三門(三解脱門)の特別公開をしたことがある。戦後初めての一般公開だったので、これを拝観するため列に並んだことを思い出す。

三門(三解脱門)の説明板には慶長16年(1611)に徳川家康公の助成により、江戸幕府大工頭・中井大和守正清によって建立され、元和8年(1622)に再建されたと書かれている。この門は増上寺で唯一の江戸時代初期の面影を残す建造物で重要文化財に指定されている。

急な階段を上ると、楼上内部には中央に釈迦三尊像、左右に表情豊かな十六羅漢像が安置されている。境内からは、東京タワーやビルをバックに増上寺の写真を撮ることができ、同じ空間に寺と近代建築が存在する不思議な光景が見られる。芝周辺は芝東照宮や芝大神宮、東京都指定史跡の芝丸山古墳などがあるので、見どころ満載の場所である。

歴史散歩の後の二次会会場は大門そばにある地鶏焼・家庭料理の店「寿々木」だった。予約した人数より大幅に増え、参加者は29名。奥の座敷とテーブル席に分かれて乾杯した。ホームページを見て今回初めて参加された谷口海さんが、二次会にも出席されたので、会の平均年齢がだいぶ下がった。アルコールが入ると歴史談義で盛り上がり、皆で楽しいひと時を過ごした。                      
(小林道子)

平成29年 春の歴史散歩「伊勢原市内の寺社と史跡を歩く」

「4月1日が天候不順のため、残念ながら中止となりました。」

平成28年 秋の歴史散歩「玉縄の古社寺や史跡を訪ねる」

H28年秋の歴史散歩

平成28年 秋の歴史散歩「玉縄の古社寺や史跡を訪ねる」  持田信廣

10月1日(土)恒例の秋の歴史散歩が開催された。天気予報は曇り時々雨であったが、幸運なことに一日中雨は降らなかった。好奇心旺盛で歴史探訪に熱心な人たち15名が集まり、和気あいあいの楽しい一日となった。

大船西口からバスで出発、渡内日枝神社の参拝から始まった。この神社は天慶年中(938~947)平良文がここ村岡に屋敷を定め、守護神として大山咋命を祀ったのがはじまり、その後三浦から福原氏が移り住み、この神社に平良文を合祀したと伝えられる。神社の登り口には近在から集められた庚申塔など石像が多数あった。

次の訪問地二伝寺へ向かう。この寺の前の道は鎌倉街道上ツ道。元弘3年5月18日鎌倉攻めの新田義貞軍と、鎌倉を死守する北条方が戦ったのはこのあたりと推定される。
新田方の武将・飽間孫三郎宗長、同孫七家行等(元弘青石塔婆・国重文より)はここで討死したのである。二伝寺(浄土宗)は初め渡内村の福原氏が創建したが、のち玉縄初代城主北条氏時が永正9年(1512)再建した寺。墓地には豊臣秀吉の小田原攻めで開城した玉縄城に新たに城主となった徳川家康の家臣・松平正次と正室、さらに直系の子孫の墓が、江戸時代特有の大きな宝篋印塔で並んでいる。またこの寺の裏側台地に登ると坂東八平氏の祖といわれる平良文の宝篋印塔、直系の忠光・忠通の五輪塔が草むらの中にひっそりと安置されていた。このあたり横山さん、山内さんの適切な解説をいただき有難うございました。

次は急坂の下りを慎重に降りバス道路にでると、道路をはさんで久成寺(日蓮宗)の入口になる。永正17年(1520)小田原北条氏の家臣梅田尾張守秀長が屋敷を喜捨してこの寺を創建した。源実朝を暗殺した公尭を斬り殺した長尾定景(子孫には関東管領を受け継いだ長尾景虎こと上杉謙信がいる)の墓がある。

この墓所には長尾台から移された多数の五輪塔が安置されていたが、案内の石碑に長尾家君羊○と書かれて意味不明であったが、橋本さんが「それは長尾家群塔」と解説してくれたのは見事であった。

次に訪れたのは玉縄城初代城主北条氏時が、永禄年間に創建した城護山円光寺(古義真言宗)、この寺は玉縄城円光寺曲輪にあったが廃城後現在地に移された。

続いて貞宗寺(浄土宗)へ向かう。この寺は徳川二代将軍秀忠を産んだ家康の側室お愛の局の生母「貞宗尼」がここの屋敷に住み、亡くなるとこの屋敷を寺とした。御霊屋には貞宗尼の墓といわれるすっきりとした宝篋印塔が安置されている。

コーナンで昼食を済ませ、午後は山城である玉縄城の大手門を目指して登る。玉縄城は北条早雲が三浦道寸を攻略する足場として永正9年(1512)築城した城で、自然の天険を利用した堅城である。我々は大手門跡や太鼓櫓跡、大手門に通じる七曲坂を下って諏訪神社へ。

この神社は玉縄城東側の最高部土塁上に祀られていたが、元和元年(1619)廃城とともに村人が現在地に移した。近くにあった御霊社も同時に合祀した。

次は玉縄北条氏の菩提寺である龍宝寺(曹洞宗)を訪ねる。秀吉の小田原攻めのとき、龍宝寺の住職と大長寺住職の必死の説得により玉縄城は開城した。この寺には玉縄城の歴史や地形を展示するミュージアムや名主を務めた石井家(国重文)の17世紀の住居が移築展示されている。

いよいよ最後の訪問先「玉縄首塚」である。大永6年(1526)安房の武将・里見義堯が攻めて来たとき、玉縄城主北条氏時・福原氏や甘粕氏も防戦に参加、このときの戦死者を葬ったのがこの塚である。説明の石碑に攻め入ったのは里見義弘とあるが間違い。義弘は弘治2年(1556)に鎌倉に入り、太平寺の青岳尼を奪って妻としている。
皆さまの協力により、楽しく無事終了することができました。有難うございました。

平成28年 秋の歴史散歩「玉縄の古社寺や史跡を訪ねる」レポート

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平成28年 春の歴史散歩 「小田原の歴史めぐり」

①小田原城天守閣を臨む

小田原城天守閣を臨む 参加者の記念撮影 (撮影 武士俣 光也氏)

春の小田原 日帰り探訪  竹村紘一

4月2日に小田原への日帰り探訪ツアーを実施、天候は終日曇り空ではあったが、参加者は21名と最近にない盛況であった。小野田さんが久しぶりに会員に会うとして小田原駅まで来られ、久闊を叙す場面もあった。

10時半にJR小田原駅東口出口に集合して、まずは、徒歩数分の商店街にある北条氏政・氏照の切腹場所に詣でる。天正十八年(1590年)、合戦の責任を負わされた氏政、氏照兄弟は医者の田村安斎の宿所で切腹。関東の支配者として名を轟かせた北条氏の当主としては極めて侘しい最期であった。当主は五代氏直であったが隠居の身である父親の氏政と叔父の氏照が責任を取らされた。介錯は弟の氏規が務めた。氏規は兄二人の跡を追って自決せんとしたが、検死役に止められたという。

②小田原城主3代墓

北条氏政・氏照の切腹場所 (撮影 武士俣 光也氏)

氏直は徳川家康の娘婿(妻は家康次女督姫。氏直没後に池田輝政に再嫁)であり氏規は家康が今川家に人質であった時に同じく人質であった氏規は駿府での住居が隣同士で親交があったと伝わる。家康の縁と氏直も氏規も和平恭順派であったことから寛大に扱われたと考えられるのである。戦後は、北条氏直に従って高野山に赴く。後に秀吉に許され、天正十九年(1591年)には河内国丹南郡二千石、文禄三年(1594年)には河内国の河内郡狭山にて七千石を宛てがわれ、万石以下ながら狭山城主として遇された。没後、嫡男の氏盛(従兄弟である氏直の養子でもあった)が継ぎ、氏直の下野の遺領四千石と合わせて一万一千石となり大名となった。

その後、お堀端通りに出て小田原城に向かうが途中、山内理事発案で堀の跡が見える小道を越えて、郵便局横の国道一号線に出た。向かい側に有名なだるま料理店が見えた。地元の網元だった廣澤仁三郎が創業した料理店。仁三郎は金沢の達磨(たつま)勘兵衛の次男として生まれたが、小田原の割烹「天利」を営む廣澤家に養子として入り、明治二十六年(1893年)、足柄下郡小田原町大手前で創業。屋号の「だるま」は、仁三郎の旧姓に由来する。当初は昼食をここでと考えていたが、時間の関係や予算面での問題もあり外観を見るだけに止めた。

一号線を城に向かい二ノ丸に架かる赤い橋(学び橋)を渡り、小田原城銅門から城内に入り、枡形や隣の馬出門も見学した。二ノ丸公園でおでんサミットと骨董市場が開催されており大盛況。特別に銅門の上の櫓が見学出来るとのことで櫓に上り中を見学、その後、天守閣に向かう。工事中であったが、蓋いは外されており優美な天守閣を望むことが出来た。常盤木門前と天守閣前広場で恒例の武士俣理事による記念撮影。

③小田原城内竹村さん

引率者・理事竹村紘一氏による小田原城広場の説明 (撮影 武士俣 光也氏)

④小田原城記念写真

小田原城銅門にて記念撮影 (撮影 武士俣 光也氏)

現在の天守閣は、昭和三十五年(1960)、市制二十周年の記念事業として復興したもので、宝永時代の再建時に作成された引き図(設計図)や模型を参考に、鉄筋コンクリートで外観復元したもの。内部は、古文書、絵図、武具、刀剣などの歴史資料の展示室となっている。小田原城天守閣は、耐震改修工事及び展示リニューアルのため、残念ながら平成二十八年四月下旬まで閉館となっていた。

天守閣前広場で昼食の為に一旦解散し13時半に時計台前に集合とし、各自、それぞれに昼食(おでんサミットや広場にある飲食店や模擬店や弁当等)を終え、その後、城内にある報徳二宮神社へ向かう。

二宮尊徳(たかのり)は、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家。境川の氾濫で田畠を失って窮乏した実家を、才覚と途方もない努力により立て直し、小田原藩家老服部家の放漫な家政改革で認められ、小田原藩の藩政改革にも参画し、後には幕府にもその実績を認められ数多くの農村の立て直しに尽力し成功を収めた。「積小為大」や「入るを量って出るを制す」をモットーとし、経世済民を目指して報徳思想を唱え、報徳仕法と呼ばれる各地で農村復興政策を指導し成功した。功ある者を賞しインセンティブを高めたと伝えられている。

神社を出ると三ノ丸小学校があり、その先に大正天皇が皇太子時代に所縁があった「御感の藤」があり藤棚と案内板を見た後、一号線に出て「ういろう本店」を見学。店の好意で土蔵の見学が出来た。パンフレットも充実しており店員や山内理事の解説もあり勉強になる。山内理事が二代目団十郎が得意としていたという「外郎売り」の口上のさわりの部分を披露され一同大いに感服した次第でありました。

⑤外郎本店山内さん

城郭を模した老舗「ういろう」本店で理事山内氏の説明を聞く。同氏の「外郎売」の口上が披露された (撮影 武士俣 光也氏)

その後、一号線を箱根の方へ向かい、早川口交差点を越えて居神神社へ向かい、祭神の三浦荒次郎義意の壮絶なる生涯の解説や卒塔婆や庚申に関する面白い話を聞く。神社の横に春日局開基と伝えられる光円寺があり(稲葉正勝が、大久保氏や阿部氏の跡を受けて小田原城主になるが、正勝は春日局の実子)この寺が小田原宿の西端であった。

近くに豆相人車鉄道跡があり持田古老より人間が客車を押すという世界的にも珍しい鉄道が、小田原~熱海間を走っていたとの興味深い話があった。当時、東海道線は小田原や熱海は通っていなかった。光円寺を出て横断歩道を渡り少し早川口方面へ戻ると大久保氏菩提寺大久寺がある。

大久寺は徳川十六神将の一人で小田原大久保氏の初代七郎右衛門忠世を開基とする寺。天正十八年(1590)の小田原合戦に、徳川家康に従って参戦した遠州二俣城主大久保忠世は、合戦後、積年の功を賞され、小田原城四万五千石が与えられ城主となる。この時、忠世は日頃から帰依していた僧を二俣から招聘して寺を建立した。

慶長十九年(1614)二代相模守忠隣の時、大久保家が改易になると、寛永十年(1633)石川主殿忠聡(忠隣二男・外祖父の石川日向守家成の養子となり家成流石川家を継ぐ)が大久寺を江戸下谷に移した(教風山大久寺)。その後、大久保新八郎康任(忠世の伯父忠俊の玄孫)が箱根入湯の道中、大久寺が廃れていることを惜しみ、同地に再興し、今日に至るまで前期大久保家の廟墓を守り続けている。

墓石は忠世以下全部で七基あり前期大久保氏一族の墓所として小田原市の史跡に指定されている。

その後、早川口交差点へ戻り、早川口遺構を見学。遺構は、北条氏が豊臣秀吉との合戦に備え、天正十八年(1590)までに小田原城とその城下を囲う周囲約9kmにも及ぶ大規模な空堀と土塁を築いた。早川口遺構は、二重外張と呼ばれる土塁と堀を二重に配した構造となっていることから、この付近に出入口である虎口があったと考えられている。この遺構は、小田原城総構の南西に位置し、低地部で見ることのできる数少ない土塁跡のひとつで、現在も各所に総構の名残を示す堀や土塁の痕跡が残る。

その後、箱根板橋駅に向かうが途中、持田古老の案内で地蔵尊(身の丈一丈の大座像で弘法大師彫造の御真体を胎内に安置)で有名な金龍山宗福院へ立ち寄る。残念ながら地蔵尊は窓越しで暗くて良く見えなかった。外に大黒天がありこれもなかなかに立派であった。一月と八月の板橋地蔵尊の大祭には、旧東海道の町並みの両側に多数の露店が軒を連ね、大勢の参拝客で賑う。また、この日に詣でると、亡くなった身内の人と瓜二つの顔の人に会えると言われている。

その後、国道一号沿いの早川用水取り入れ口を見学。国道一号線を湯元に向かうと戊辰戦争の激戦地である三枚橋があるがそれは割愛し、箱根板橋駅で乗車し小田原駅へ向かい、駅構内で解散式を行い、残った有志19名で駅側の魚民で反省会を兼ねた懇親会を行い談論風発、大いに盛り上がった春宵一刻であった。

平成28年 春の歴史散歩「小田原の歴史めぐり」レポート

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平成27年 秋の歴史散歩
「3つの鎌倉幕府跡と頼朝・北条ゆかりの寺社・廃寺めぐり」

案内者:山内玄人氏、橋本欣之介氏

平成27年春の歴史散歩 「愛甲石田~森林公園を歩く」

案内者:島口建次氏

平成26年秋の歴史散歩 「戸塚宿から藤沢・遊行寺までを歩く」

案内者:横山忠弘氏

平成26年春の歴史散歩 「春の厚木三島神社から飯山観音までを歩く」

案内者:島口健次氏