【歴史散歩】

令和元年12月の歴史散歩「銀杏が見頃の東大構内と本郷界隈」 (New!!)

案内者:竹村紘一会長
開催日:令和元年12月1日(日)
参加者:(50音順・敬称略)
浅見 実、岩本恭恵、加藤岩男、小林道子、竹村紘一、
田中真生雄、長尾正和、橋本和子、橋本欣之介、
原田信作、真野信治、宮田泰直、松本隆之、村島秀次、
山内玄人、横山忠弘、高野賢彦 (以上17名)
令和元年12月の歴史散歩「銀杏が見頃の東大構内と本郷界隈」
(撮影:小林道子)

12月の歴史散歩レポート・解説  竹村紘一

増上寺の「皇女和宮様奉賛法要」で竹村会長が特別講演

今年(令和元年)も10月2日に、芝・増上寺にて「静寛院宮(皇女和宮)様奉賛法要が行われ、大勢の僧侶による読経に加え、雅楽の演奏と少女たちのコーラスのコラボレーション。実にオリジナルで荘厳な法要が感動的でした。

法要の後、昨年に引き続いて当会の会長竹村紘一氏の講演が行われました。テーマは「静寛院宮(皇女和宮)様の波瀾のご生涯」。 当会を始め横浜歴研など、友好団体からの参加者も多く、コーラスの少女たち(淑徳SC高等部・中等部)も熱心に耳を傾けていました。なお、この法要と竹村会長の講演会は、来年の10月2日にも行われる予定です。

神奈川歴史研究会からの参列者(五十音順・敬称略)
竹村紘一、橋本欣之介、松本隆之、山内玄人、渡邊幸太郎、以上

(山内玄人記)

「令和元年の静寛院宮(皇女和宮)様奉賛法要に参列して」 (竹村紘一)

>>竹村会長のレポートはこちら→

増上寺三門に掲げられた大看板と竹村会長 (撮影:横浜歴研 早田信広氏)

増上寺三門に掲げられた大看板と竹村会長
(撮影:横浜歴研 早田信広氏)

平成31年 春の歴史散歩「鶴ヶ峰(畠山重忠戦死の古戦場)と生麦事件の現場」

案内者:竹村紘一(神奈川県歴史研究会 会長)
開催日:平成31年3月31日(日)
平成31年 春の歴史散歩「鶴ヶ峰(畠山重忠戦死の古戦場)と生麦事件の現場」
参加者:(五十音順 敬称略)
案内者:竹村紘一
・浅見実・岩本恭恵・大森健児・加藤岩男
・小林道子・斎藤宗久・竹村紘一・長尾正和
・橋本和子・橋本欣之介・宮田泰直・村本博
・山内玄人・横山忠弘(以上14名)

春の歴史散歩レポート 浅見 実

★3月31日(日) 当会春の恒例行事である歴史散歩を開催した。桜の花も大分咲いてきた。やっと春が来た。参加者は14名。
場所は、横浜市郊外の畠山重忠の終焉の地である鶴ヶ峰と生麦事件の遺跡の見学である。

まず、二俣川、鶴ヶ峰の古戦場跡について、当会の竹村会長の御案内での探訪である。鶴ヶ峰駅で相鉄線を下車したのは始めてであるが、この駅の近くにはやたらレストランとか居酒屋風の店が多くて、興味をそそられる。そこを少し歩いて行くとなだらかな丘陵地帯が続ている。

今から800年以上も前に一人の怪力無双の畠山重忠という武士がいた。頼朝との信頼も厚かった。伝説によると、一の谷の合戦では、所謂、断崖絶壁の急坂を馬に下らせたら、馬が傷つくであろうと、自分で馬を担いで急坂を降りて敵陣に攻め込んで行ったというから相当の力持ちであったに違いない。

もしオリンピックがこの頃あったとしたら、そして彼が重量挙げヘビー級に出場していたら、当然優勝したであろう。その時の場面を想像した立派な銅像が、重忠の生地である関越自動車道の花園インター近くの、深谷市公園にある。

ここ二俣川、鶴ヶ峰の地で、重忠はわずか味方134騎で数万人の北条軍と戦い敗北したのである。戦いはあっけなく短時間で終わった。壮絶な合戦跡とされる史跡がここにはいくつもある。

『首塚』、『鎧の渡し』、『重忠公碑、さかさ矢竹』等探訪していった。今はのどかすぎて、ここで数万人規模の合戦があったとは想像できない。でも、思いは、時代を越えて、強く頭に描くことができた。

★夕刻になり、会場を移して、横浜駅経由して京急線の生麦駅に向かった。居酒屋のはなの舞いを予約しておいた。楽しみにしていた二次会で、うまいアルコールを飲みながら、歴史を語ったのである。盛り上がったこと言うまでもない。皆、充分に満足をした。

会合が終わり、せっかく生麦まで来たからには、夜になったが、この町の散策もしたいと言うものが何人もあり、有志で繰り出した。一時間以上歩き続けたと言う。『生麦』の地名の由来は、いくつもある。そのうちのひとつで、徳川将軍がここの街道を通る時に、ぬかる道を麦わらを切りそろえて歩きやすくしたのだというが、あるいはそうかもしれない。

近くの大森界隈も麦わら細工が特産品であったので、この辺り一帯は麦畑であったであろう。芭蕉が麦の穂の句を詠んだのも川崎宿である。有志たちは高速道路の上からパノラミックにそしてスケール大に生麦記念碑を見たことは決して忘れられないとか。

平成30年 秋の歴史散歩「鎌倉駅から小町・大町の古寺社を訪れる」

image
鎌倉駅から小町・大町の古寺社を訪れる

①上の左側=本覚寺本堂
②上の右側=妙本寺総門付近で
③下の右側=同、総門脇での記念スナップ
④下の左側=光明寺の本殿前で
(写真撮影:加藤岩男氏)

参加者(50音順・敬称略)
案内者:持田信廣
岩本恭恵、大岩泰、加藤岩男、杉本仁敏、鈴木美恵子、高野賢彦、竹村紘一、田中真生雄、橋本和子、橋本欣之介、原田信作、山内玄人、横山忠弘
(以上14名)

平成30年 春の歴史散歩「豪徳寺・松陰神社方面へ」

豪徳寺・松陰神社方面
豪徳寺・松陰神社方面

秋の歴史散歩レポート (小林道子)

4月7日(土)竹村紘一会長の案内で、恒例の歴史散歩を実施した。明け方まで嵐のような天候で心配していたが、午前には天気も回復した。
集合場所の小田急線豪徳寺駅には参加者11名が集まり、豪徳寺から松陰神社まで世田谷の名所を散策した。

豪徳寺→世田谷城址公園→大場代官屋敷・世田谷区立郷土資料館→松陰神社

午後1時半に豪徳寺駅を出発し、商店街と住宅街を抜けて豪徳寺へ。
豪徳寺は世田谷城主吉良政忠が文明12年(1480)に亡くなった伯母の菩提のため、臨済宗弘徳院として創建したと伝えられる。

天正12年(1584)、門庵が住職となり曹洞宗に改めたが、寛永10年(1633)、世田谷領が彦根藩領となり豪徳寺が井伊家の江戸における菩提寺になったことから、寺号を藩主井伊直孝の法号より豪徳寺と改号した。境内には三重塔・梵鐘・石灯籠二基・仏殿木像五体など、数多くの文化財がある。

この寺には招き猫伝説があり、一説によると招き猫発祥の地とされている。猫を祀った「招福殿」の横には無数の招き猫が奉納されていたが、あまりの数に驚いた。豪徳寺の招き猫は右手を上げたシンプルな猫である。

六地蔵の奥に彦根藩井伊家の墓所(国の史跡)があり、桜田門外の変で水戸浪士に暗殺された井伊直弼の墓(都史跡)もある。井伊直孝や井伊直弼の墓に手を合わせた後、世田谷城址公園に向かった。

かつてこの公園には武蔵吉良氏の居城世田谷城が存在し、豪徳寺は本丸だったと考えられる。天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に世田谷城も陥落した。

世田谷城址公園を後にして「世田谷ボロ市」で有名なボロ市通りを歩くと、大場代官屋敷の茅葺きの門が見えてきた。
大場代官屋敷は江戸時代彦根藩井伊家の代官を務めた大場家住宅兼役宅である。寛永10年(1633)、世田谷領が彦根藩領になったとき代官に任じられ、明治維新まで官職を世襲した。茅葺き屋根の主屋と表門が、国の重要文化財に指定されている。

代官屋敷に入ると大きな玉樟(タブノキ)が目に入り、手入れのゆき届いた樹木が私たちを迎えてくれた。
世田谷区立郷土資料館は代官屋敷と同じ敷地にあり、23区初の公立地域博物館だそうだ。世田谷地域の歴史民俗資料の保存や収集研究を行っている。収蔵品は旧石器時代から弥生時代までの土器のほか、大場家に残る文書などがある。

2F常設展示室では原始・古代・中世・近世・近代・現代の資料が豊富に揃い、歴史を学ぶ歴研メンバーも十分満足できた。最後に訪れた松陰神社は幕末の思想家吉田松陰を祀る神社だ。

小塚原で処刑後、遺体をこの地に運んで神社が建てられた。ここで邪馬台国の会会長の内野勝弘さんと合流し、復元された松下村塾(土日の日中公開)の見学と吉田松陰の墓参りをした。

神社から松陰神社前駅まではお洒落なカフェや美味しそうなパン屋が並ぶ商店街を歩き、世田谷線に乗って終点の三軒茶屋駅を目指した。懇親会の会場は三軒茶屋駅南口側にある居酒屋「村さ来」で行い、内野勝弘さんを含む11名が参加した。

ここではお酒や料理を楽しみながら今日のコースを振り返り親睦を深めた。
(小林道子)

参加者(五十音順 敬称略)
浅見・岩本・川瀬・久保・小林(道子)・杉本・竹村・橋本(和子)・持田・横山・渡邊
途中参加内野勝弘氏(邪馬台国の会会長)

平成29年 秋の歴史散歩「静寛院宮(皇女和宮内親王)様奉賛法要へ」

平成29年秋の歴史散歩

秋の歴史散歩レポート (小林道子)

10月2日(月)、今回は増上寺大殿で行われた「静寛院宮様奉賛法要」に参列した。公武合体の象徴として天皇家から十四代徳川家茂公に降嫁した、和宮親子(ちかこ)内親王の法要である。

案内人は当会会長の竹村紘一氏だ。増上寺の歴史についても大変詳しい。

ひと雨ありそうな空模様だったが、参加者の日頃の行いが良いのか最後まで傘は必要なかった。

参加者は横浜歴研、史友会、江戸の歴史研究会、シニア活動の森など他団体からの参加者もあり、33名と大盛況だった。午後1時から法要が行われる大殿本堂ではお寺で席を用意してくださっており、予定より参加者が増えたにもかかわらず、まとまって座ることができた。

今回の法要は大僧正の八木季生様が所用で不在であったため、代理で友田執事長が勤められた。徳川恒孝(つねなり)氏と夫人、そして和宮様の母方の御実家である橋本家からも関係者が参列されていた。

淑徳中学校・高校の聖歌隊による仏教聖歌や和宮様を讃える歌の合唱があった。白いブレザーにベレー帽が伝統のユニホームだそうだ。雅楽演奏に続き、友田執事長の読経や僧侶たちの迫力ある読経を拝聴することができた。

徳川宗家や橋本家ら関係者が焼香され、その後に一般参列者も順番に焼香した。(当会のふたりの橋本さんは一般席での焼香)

法要が終わると、増上寺別当最勝院の村田洋一住職による「徳川家の姫たち」という記念講演があった。二代秀忠公の正室お江や十四代家茂公正室和宮様など、歴史研究会に加入している私たちにとって、大変興味深い話だった。

法要がすべて終わってから、本日参加した私たちは特別に来賓室へ案内していただき、お茶とお菓子の接待を受けることが出来た。これは今までになかったそうで、竹村会長はとても感激されていた。

4時半から二次会の予定をしていたので、それまでは自由に境内を散策し、徳川家墓所参拝や宝物展示室の見学をした。増上寺では2011年秋に三門(三解脱門)の特別公開をしたことがある。戦後初めての一般公開だったので、これを拝観するため列に並んだことを思い出す。

三門(三解脱門)の説明板には慶長16年(1611)に徳川家康公の助成により、江戸幕府大工頭・中井大和守正清によって建立され、元和8年(1622)に再建されたと書かれている。この門は増上寺で唯一の江戸時代初期の面影を残す建造物で重要文化財に指定されている。

急な階段を上ると、楼上内部には中央に釈迦三尊像、左右に表情豊かな十六羅漢像が安置されている。境内からは、東京タワーやビルをバックに増上寺の写真を撮ることができ、同じ空間に寺と近代建築が存在する不思議な光景が見られる。芝周辺は芝東照宮や芝大神宮、東京都指定史跡の芝丸山古墳などがあるので、見どころ満載の場所である。

歴史散歩の後の二次会会場は大門そばにある地鶏焼・家庭料理の店「寿々木」だった。予約した人数より大幅に増え、参加者は29名。奥の座敷とテーブル席に分かれて乾杯した。ホームページを見て今回初めて参加された谷口海さんが、二次会にも出席されたので、会の平均年齢がだいぶ下がった。アルコールが入ると歴史談義で盛り上がり、皆で楽しいひと時を過ごした。
(小林道子)

平成29年 春の歴史散歩「伊勢原市内の寺社と史跡を歩く」

4月1日が天候不順のため、残念ながら中止となりました。

平成28年秋の歴史散歩「玉縄の古社寺や史跡を歩く」

案内者:持田信廣氏

平成28年春の歴史散歩「小田原の歴史をめぐる」

案内者:竹村紘一氏

平成27年 秋の歴史散歩
「3つの鎌倉幕府跡と頼朝・北条ゆかりの寺社・廃寺めぐり」

案内者:山内玄人氏、橋本欣之介氏

平成27年春の歴史散歩 「愛甲石田~森林公園を歩く」

案内者:島口建次氏

平成26年秋の歴史散歩 「戸塚宿から藤沢・遊行寺までを歩く」

案内者:横山忠弘氏

平成26年春の歴史散歩 「春の厚木三島神社から飯山観音までを歩く」

案内者:島口健次氏