研究発表(2017年)

第328回平成29年12月月例会

研究発表

演題① 「中世の津軽安藤氏と蝦夷島における和人地の形成」
講師: 大岩泰氏
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演題② 「歴史研究の履歴」
講師: 瀬戸淳氏
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月例会レポート

★当会、神奈川歴史研究会の第328回月例会は、12月17日(日)藤沢市六会公民館で開催をした。当日は寒かった。この冬一番の寒さだったかもしれない。参加者は、他のグループからの応援聴講者もあり35名。これだけ集まると広い会場も、さすがに狭く感じる。活気に満ちていた。

★最初は、ベテランの歴史研究者であるが、当会デビュー講演の大岩泰氏で「中世の津軽安藤氏と蝦夷島における和人地の形成」であった。氏は、九州・大分県のご出身で、サラリーマン時代は札幌に4年間ほど、ご勤務をされていたそうである。道産子ではないが北海道には詳しい。アイヌの歴史、和人の進出について、平易に概略を説明していかれた。

北海道は、もともとアイヌの居住地であったが、鎌倉時代以降和人の移住者が漸増していった。

自分も、北海道のアイヌについては、大いに関心を持っていた。鹿部に暫く滞在をしていた時に、車で江差地方を旅行したことがある。帰りに上ノ国の夷王山からの日本海を眺めたくなり、そこに立ち寄ってみた。風光明媚な、大きく展望が開けた素晴らしいところであった。

上ノ国には、北海道に和人が最初に定住したところで、勝山舘跡が、綺麗に整備されて保存されてある。郷土館のあったそこには、この地方ではアイヌと和人が、争うだけでなく、一緒に住んでいたようであると説明を受けた。

最初のアイヌ対和人の生活は、温厚な関係であったと自分には感じられた。そこで、それならばと、アイヌの歴史を調べ始めた。文字を持たなかったので、アイヌ側の資料は少ないようだ 。ほとんどが松前藩とか和人の記録による。しかしながら、コシャマインの戦い、シャクシャインの戦い、クナシリ・メナシの戦いのいずれを見ても、アイヌは制圧されていったようだ。その原因は和人側にあるようだ。どうして、もっと、平和的に融合できなかったのであろうか。

★次の講演は、毎年、当会や、その他の学会で研究発表をしている瀬戸淳氏で今回は「歴史研究の履歴」について述べられた。あるいはこれは氏のこれまで発表された研究論文の総まとめであろうか。

とにかく、氏は数多くの論文をまとめ上げられている。大半は佐賀県関連のものが多い。熱烈なる佐賀県・肥後サポーターであり、プライド・矜持を持っておられる。幕末には薩長土肥の雄藩が、主に明治日本を動かしたが、優れた大砲製造の技術を持っており、戊辰戦争で大きな働きをした佐賀藩の行動があまりに評価されないことに対して義憤を感じられていたことも、佐賀についての研究を、意欲的にされたこともあるかもしれない。

佐賀は、江戸時代に長崎出島に近くて、ヨーロッパの先進的な文化が 、地政学的に他藩に比べて一番取りやすいところに存在した。幕末の藩主である名君・鍋島直正が維新の直後の明治4年に惜しくも死去してしまったことも、影響力のある人物を早く失ったこともあるかもしれないと、自分には思えた。

氏は、歴史学の研究についてもユニークな鋭い感性をお持ちである。10年近く前に当会で世界史を見てみるに民族の力は西へ、宗教の力は東へと向かうと説明をされた。精神性の高い宗教は、太陽に向かって東へと進み、民族の力は太陽のエネルギーを背に受けて西に進むと、それは地球の自転と関係があろうとか示唆された。

さらには、歴史は繰り返すと、氏なりの学説を披露された。ダイナリズムを解明するために、歴史的知見から仮説を立て、思考、観察により検証して、法則性を見つけ出し、新しい理論へと導くという。参考にできること、そして得るところ大であった。
(浅見実)

第327回平成29年11月月例会

研究発表

演題① 「江戸時代の道を求めて (四国遍路)」
講師: 加藤岩男氏
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演題② 「関東の争乱と小弓公方足利義明」
講師: 橋本欣之介氏
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月例会レポート

★当会、神奈川歴史研究会の第327回月例会は、11月19日(日)藤沢市六会公民館で開催をした。ここの会場は新設間もなく設備も整っているし、小田急線六会日大前駅からも近い。坂を上がらなくてもよい。なにしろきれいである。参加者は24名。いつもよりも多少参加メンバーは少ないかもしれない。でも、みんな歴史大好きなものばかりである。和気藹々とした雰囲気で始まった。

★最初の講演は、加藤岩男氏で「江戸時代の道を求めて(四国遍路)」編であった。氏は、主に、江戸期の九州地方路、中国地方路等我が国の今は廃れた古い街道筋をあちこちと何日もかけて、まわられておられる。それも昔に忠実に古いルートを辿り、クマザサの茂るなか、虫にさされながら歩まれている。本当のマニアであろう。その熱意には敬服いたしたい。

今回訪れたのは、白衣を着用して八十八か所をまわる、弘法大師ゆかりの四国遍路である。全行程を走破するには通して四十日ほどかかる。弘法大師というのは諡号で、我が国の真言宗の開祖である空海のことである。

とにかく、この人物は、とてつもなく大人物であった。空海の創立した和歌山県にある高野山金剛峯寺を自分は30年も前に行ったことがあるが、その荘厳さとか規模の大きさ、広さには圧倒された。とても一日では歩いてまわりきれなかった。

四国八十八か所の霊場の殆どは真言宗の寺院である。さらには西国三十三か所の寺院も殆どが真言宗系である。空海は、教育面でも熱心で綜芸種智院を設立したり、また能書家であり、三筆の一人であった。平安時代の初期には優れた、影響力のある人物がいたと思う。

加藤氏は、今回は阿波の国から土佐までの霊場についての体験談をDⅤDに纏められてプロジェクターを使用して発表された。確かに、旅行記は動画を使用すると迫力がある。臨場感がある。舗装された道路を避けて旧道である山道を行く路程に苦労が多かったらしい。その分、それぞれの行き先で新しい発見があり、知識を深めていったことであろう。それにも増して、先々での人のやさしさ親切さに感謝をしておられた。

最後に、有り難く、そのDVDを全員に配布されそれぞれ頂いた。もし、自分が行けたら参考にしたい。

★次の講演は、橋本欣之介理事により「関東の争乱と小弓公方足利義明」についてであった。

室町時代に起こったこの争乱の時代は長かった。15世紀半ばの享徳の乱から、実に136年間にわたるという。関東地方では激しい戦いが数多く勃発した。絶えず、戦いが頻発したからといって、継続して、いつも戦場になっていたわけではないが、ここに住む人々にとって心が休まることはなかったであろう。もし、自分が、この時代にそこで生活をしていたらどんなに恐ろしかったか。

理事は、このテーマで、時代を追って通史的に発表されていかれた。登場人物もとにかく多い。武家の名前は似たような名前が多く理解をするのに、率直に言って、難しい。それを20ページ以上のレジメにボリュウームは多 いが項目を区切り、分かりやすくまとめあげられらた。太田道灌とか河越夜戦とかなじみのある用語もいくつか出てきたのでほっとした。

室町幕府(北朝)は60年程かけて南北朝を統一したものの、荘園の侵略を始めたり、権限の拡大が進行した強力な大名に成長した守護に悩ませられたという。中央政府としても、鎌倉府がある関東地方の内乱に関与するなど到底できないことであった。鎌倉幕府、江戸幕府に比較しても基盤は弱かったと言えるかもしれない。

さらには、応仁・文明の乱以降、在地武士層の領国が増大して、幕府の権威は失墜して、群雄が割拠する戦国時代に、世は移り進んでいった。
掲題にある小弓方足利義明は国府台で戦死をしたが、その一族・子孫は、秀吉の庇護もあり、その後、代々名家として幕末まで存続したという。
(浅見実)

第326回平成29年10月月例会

研究発表

演題① 「平城太上天皇の変 (薬子の変) と唐に渡った高岳親王」
講師: 小林道子氏
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演題② 「寛政の三奇人」
講師: 竹村紘一氏

月例会レポート

★10月15日(日)藤沢市善行公民館で、第326回月例会を開催した。参加者40名。いつもより多い、盛会であった。活気に満ちていた。というのは、横浜歴史研究会の加藤会長等をはじめてとして、江戸の会、古代史懇話会等の他会の聴講者が12名も参加された。友好団体の応援は有り難いことである。それ故に、講師も大いに張り切っていた。

★最初の講演は、小林道子理事による「平城太上天皇の変(薬子の変)と唐に渡った高岳親王」であった。

とにかくよく調べられている。この「変」については、自分の手元の中学生の時の歴史の教科書を読み直してみたが、多分まったく記載がない。高校時代の教科書でも、記載はあるがそれ程詳しくない。マイナーな事件であったとするには、自分だけの誤りであろう。

そこを講師はよく調べられておられる。各種の資料を充分に読み込み、推考されて、丁寧に自説を構築しており、歴史の勉強のなかに没頭して、堪能しているのではないだろうか。貴重なレジメであろう。歴史を勉強するのに得るところ大であった。

この事件が起こったのは、平安時代の初めの9世紀初頭であった。平安京に都を定めて間もない頃で、まだインフラの整備も充分でなく、建設途中で、まわりを取り囲む一般市民層、商人等も多くはなかった。壮大な計画のもとに造営された直前の長岡京は、たたりの事件等が次々起こりあえなく中止された。

そのようなときに平安京を都と定めたのである。新都普請や蝦夷討伐により国家財政も逼迫していた。政権も安定していなかった。ここに都を完成させようとしていた桓武天皇の息子である嵯峨天皇と、平城京へのあこがれを持つ同じ息子の平城天皇との兄弟争いが、桓武天皇の死後、藤原氏等をも含めての対立となったものであろうか。

同じ血を分けた兄弟争いは、自分には納得できないが。相和すべきであろう。

★次の講演は、竹村紘一会長による「寛政の三奇人」についてであった。久しぶりに奥行きが深いが、軽妙洒脱の竹村節の講談を傾聴できた。

自分が最初に思い出すのは、三奇人のひとり高山彦九郎のことである。平成18年に東海道53次を13年間にわたって全行程を歩き通したときに、京都の三条大橋で、その像が出迎えてくれた。はっきり言ってどんな人物か、その時には、よく知らなかった。後に、長期間、滞在したことがある近くの群馬県新田郡の出身であることを知り親近感を覚えた。

残りの二人、林子平と蒲生君平については、高校生時代に受験参考書でその名前を暗記をしたにすぎない。

ところで、寛政と言うのは激動の時代であった。その数年前の天明の大飢饉、一揆、打ちこわし等で各地は混乱をしていた。松平定信が行った各種の改革もあまり効果がなかったらしい。

巷では風俗も乱れ山東京伝の黄表紙(大人向けの読み物)が受け入れられていた。町人文化も大坂から江戸へのシフトしてきた。町民の不平不満も著しかった。表面的な言論の自由はあったらしいが、おおっぴらに活字にして表現はできなかった。

寛政異学の禁による学問の統制により、蘭学は、風俗を害するものとして、禁止された。朱子学のみが正学として認められた。今は忘れられた学問であるが、朱子学を簡単な言葉で説明をしてみると、人々を妥協を許さぬ方向へ駆り立てる思想で、幕藩体制擁護のための思想であるとか。

★会場を移しての2次会の参加者は21名。お互いにわいわい自説を強調して大いに盛り上がった。アルコールもどんどん進んだことは言うまでもない。      (浅見実)

第325回平成29年9月月例会

研究発表

演題① 「家族システムの変遷(1) 縄文時代のモラルと家族システム」
講師: 大森健児氏
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演題② 「古代出雲の謎とその正体 (国引き神話)」
講師: 田中真生雄氏
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月例会レポート

月例会レポート
★9月17日(日)藤沢市湘南台公民館で、第325回月例会を開催した。参加者19名。当日は、ちょうど記録的に大きな台風が、日本列島を縦断しており、参加者がどのくらい参集されるのか心配していたが、降雨の中予想以上に集まったメンバーが多かった。

講師お二人のスピーチ内容は、これまでになく高レベルな展開であったと言えるかもない。あたかも大学で、日本文明誕生の頃についての特殊講義を受けているようであった。縄文時代、および神話の時代の物語である。

★最初の講演は、大森健児先生の「家族システムの変遷(1)縄文時代のモラルと家族システム」についてであった。

先生は法政大学名誉教授であり、工学博士でコンピューターについてはご専門であり、数多くの関連論文も発表されている。歴史については、研究をはじめて、それほど時期が経っていないとのことであるが、理論構成、推考・引用文献の多さ等からみるとかなりのキャリアがあると思われる。

自分も10数年前に当会で、藤沢市域の人口の変遷について、各時代ごとに纏めてみたことがある。遺跡の数と規模の推移のみによって、縄文時代は、当地の人口が約400人、平安時代は約4,000人くらい居住していたと勝手に発表したことがあるが、根拠の乏しい、不正確の極みであった。

そこにいくと先生は、掲題について縄文時代の事象について、文献が存在しない時代を、周辺学問である『考古学』『進化人類学』『社会学』『経済学』等からの理論展開を行っており、学問の幅の広さ、スケールの大きさには、自分は足元にも及ばないと痛感した。視野を広くしないといけないと、反省をしている。

そして、縄文時代の家族システムは、母方居住の、統合あるいは一時同居の、核家族であったと結論付けられた。

★次の講演は、田中真生雄先生の「古代出雲の謎とその正体・国引き神話」についてであった。

先生は、月刊誌『歴史研究』等の雑誌に、古代史について投稿をされている常連の研究者である。今回の発表は、文献(今回は、8世紀の前半に成した出雲風土記について)をじっくり、一字一句細部にわたり考証していく方法をとっておられるように感じられた。

自分は懐かしかった、昭和10年代の後半から20年代にかけての小学校唱歌であった『国引き』の歌を思い出した。『くにこい、くにこい、えんやらや、神様綱引き・・・・・』のメロディーを、つい口ずさんでしまうほどであった。本のなかに出てくる綱引きをしている挿絵も、かなり鮮明にあたまのなかに蘇ってきた。

神話によると、出雲の神が、対岸の新羅の地などに綱を打ちかけて、『国来、国来』といって引き寄せて、これを出雲国に結びつけたという国土拡張の伝説である。先生は、謎の多い疑問点の解法が、他の謎の解決の参考になり、貢献できるだろうと結論付けられた。

そして出雲について知ることは、日本の歴史と文化とを知ることだと。確かに、荒神谷遺跡から弥生時代の銅剣358本が出土したし、北九州、ヤマト以外にもここには大きな文化があったと言われる。
(レポート:浅見実)

第324回平成29年8月月例会

研究発表

演題① 「大塩平八郎の乱」
講師: 島口建次氏

演題② 「東海道を歩く-江尻宿(清水市)~金谷宿」
講師: 持田信廣氏
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月例会レポート

★8月20日(日)藤沢市湘南台公民館で、神奈川歴史研究会第324回月例会を開催した。参加者31名。連日の猛暑のなか、部屋の定員を超えるほどの熱心な歴史好きなメンバーが例月以上に集まった。これには講師も気合が入ったようである。

★最初の講演は、厚木歴史研究会代表でもある島口健次氏により「大塩平八郎の乱」について話された。

平八郎は江戸後期の大坂町奉行所の与力であり、陽明学者であった。天保の大飢饉のときには大坂でも餓死者が続出したため、奉行に救済策を講じるように再三にわたり嘆願したが、聞き入られなかった。それ故、自分の蔵書を売り払い、大金を入手して、これを窮民1万軒に1朱 (現在の約1万円弱か)ずつ分配したという。

さらには、ひそかに門弟の与力や近隣の富豪、近隣の農民に檄を飛ばして参加を呼びかけ挙兵を実行した。今から180年前の天保8年にである。天満に放火をして、船場に近い豪商を襲い金穀を奪ったという。というのは、この地区で備蓄していた米をここで消費することなく、多く儲けるために江戸に回送して暴利を、豪商たちは、博していたことに平八郎は我慢ができなかった。

大坂城の占拠も図ったらしい。平八郎の起こした挙兵・乱により大坂市内の家屋は1万戸が焼失したという。この町には大変なことが起こったのである。結局、計画は失敗に終わり、平八郎は自害をした。その後、越後柏崎では生田万の乱等、各地で暴動が起こるきっかけとなった。このころは、徳川家斉の時代であり、綱紀は弛み風俗は頽廃していた。大飢饉の影響もあり、奉行ににも救済できる余裕などなかったであろう。幕府崩壊への序曲のメロディーが流れ出していたと言っても良いのではないだろうか。

でも、島口講師のスピーチは、定説についてはあまり触れずに、意表を突いた異説の披露に力を入れていた。

大塩平八郎は、挙兵が失敗すると、自害などしていない。息子格之助を連れて大陸に渡った。そして、清朝打倒を目指した太平天国をうち立てた洪秀全は実は格之助のことであると。とにかく驚きであった。

最初講師のテーマを聞いたときに、毎年それぞれの異説を述べられているが、今年はいよいよ定説をお話をされるかと思っていたが、そんなことはなかった。過去と同様に、異説が主体であった。時代背景その他周辺の歴史事実を加えて、面白くアレンジされて、今回も異説を発表された。それも、今年は特に極めて正確に、話題関連の周辺知識を調べ上げられているのには感心した。声も大き く、話法も卓越、皆聞き惚れた。

★次の講演は、持田信廣氏で「東海道を歩く(4)・江尻宿から金谷宿まで」であった。

氏はかって大手銀行を退職後、やはり大手旅行会社の名物・歴史担当ツアー・コンダクターであった。歴史に対する知識は極めて豊富であり、歴史は足で書き、語るものであるとの信念を持っているようである。

旧東海道の全行程走破は数回にわたるし、五街道はすべて走破されたとか。凄いことである。一方、自分も東海道は江戸から京都まで14年かけて、夫婦で歩き通したが、その他の街道についてはほとんど歩いていない。

今回は、過去に当会で、3年にわたり江戸から興津宿までお話をされているので、そこから続く江尻宿(清水)から説明をされた。聞いているうちに、ここで自分の歩いたときの思い出が蘇り懐かしい。

江尻では追分羊羹、府中(静岡)では安倍川もちと鰻、丸子ではとろろ汁とどうも、食べ物を真っ先に思い浮かべる。見どころでは、丸子で拝観をした吐月峰・紫屋寺の境内から見た周りの借景、岡部の大旅籠であった柏屋(かしばや)の内部での見学、いずれも素晴らしかった。時間一杯氏は体験談を述べられた。
(レポート:浅見実)

第323回平成29年7月月例会

研究発表

演題① 「紫式部と源氏物語の和歌から-百人一首の歌と紫の上との関係で」
講師: 津久井勤氏
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演題② 「馬の話あれこれ(その4)」
講師: 村本博氏
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月例会レポート

★7月16日(日)藤沢市湘南台公民館で、第323回月例会を開催した。参加者25名。盛会であった。

インターネットを閲覧して、当会の活動を知り、横浜市在住の櫛田久美さんが新たに当会へ入会され、参加され、嬉しかった。徐々にネットによる媒体も大きな効果が出つつあると言えよう。

それにしても、当日は蒸し暑かった。外気は摂氏32度以上。おまけに、会場である公民館のエアコンは故障して全く効き目なし。最悪の状況であった。でも、この暑さにクレームをつけるメンバーはいなかった。内容の濃い、講師の高度なスピーチを熱心に聞き入った。それほど皆、歴史が好きである。

★最初の講演は、津久井勤先生による「紫式部と源氏物語の和歌から・百人一首の歌と紫の上との関係で」であった。先生は東海大学教授を経て全日本かるた協会七段、そのいくつものかるた団体の役員を兼ねておられる。

源氏物語は、平安時代中期である今から約一千年前に書かれた物語である。作者はおそらく紫式部であろう。華やかな舞台は藤原氏全盛時代の貴族社会である。雄大な構想を持って、精緻な心理状態を描き出している物語であると言われている。紫の上を失ったあとの光源氏の栄華は崩壊していったとされる。

先生の講演は、あたかも中世文学の特殊講義を聴講しているようだった。聞いているうちに、本居宣長が指摘をしたという物の哀れ感が、自分にはひしひしと感じられた。友人で、一生のうちに一度は大作を読んでおこうとトルストイの「戦争と平和」を読みだしたものがいるが、自分は、そうだ瀬戸内寂聴氏訳の大河小説の「源氏物語」を読んでみようかと思っている。でも、長そうだ。

★次の講演は、村本博氏で「馬の話・あれこれ(その4)」についてであった。とにかく、馬については詳しい人である。これまで当会でも昨年まで3回にわたり、馬についてのあれこれと興味がある歴史上の出来事を披露され好評であったが、今回は、それらの集大成ともいえる『馬と人を結ぶもの』『競馬』等についてお話しされた。

やはり氏の馬術におけるキャリアーが長く、それが確かな礎となっている。馬と人類の付き合いは古代に遡る。時代の変遷に伴っていろいろと馬具も徐々に変化していった。快適にそして合理的に乗馬を行うために改良に改良を重ねていった。ガソリンエンジン、電気モーターが発明されるまで、運搬、連絡、移動、戦術等で大きな力となった。

そして、講演の終了後の『鳥貴族』での二次会で嬉しそうに、うまそうにじっくりアルコールを嗜む氏のおだやかな表情は平和そのものであった。自分の家の近くに、乗馬ができる施設があるが、折角だから一回くらい試してみようかと思った。無理かもしれない。
(浅見実)

第322回平成29年6月月例会

研究発表

演題① 「埋れた歴史の宝庫-清盛も来るはずだった相模の松田亭」
講師: 山内玄人氏
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演題② 「暗殺疑惑の日本史」
講師: 川瀬和男氏
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月例会レポート

▼ 6月18日(日)332回の例会を、藤沢市六会公民館会議室で開催した。参加者は、町田の歴史を楽しみ歩く会の会長以下の応援団四名を含めて29 名。

▼ 最初の発表者は当会ベテランの山内玄人理事で、「埋もれた歴史の宝庫―清盛も来るはずだった相模の松田亭」と題して発表された。平素から「自己チュー史学」と称して先祖の山内氏を中心にそこから派生する数多くの鎌倉武士をテーマに深く掘り下げて研究をされている同氏の綿密且つ行動力溢れる探求姿勢には敬服せざるを得ない。

松田亭は義朝と源氏股肱の家臣の波多野義通の妹との間に誕生した朝長が生まれ育った地であった。義平と頼朝の間に生まれた二男であったが、平治合戦で敗れて東国へ落ち延びる途次に敵に襲われて重傷を負い、これ以上の逃避行は無理と判断し美濃青墓で自決したとも父・義朝により斬殺されたとも伝えられる悲劇の若武者であった。

松田亭の存在は『吾妻鏡』にも記載があるが、講師は松田亭を特定する過程で清盛が鹿島詣や富士参りの名目で東国入りする計画があり、当時は平家与党の大庭景親やその縁に繋がる波多野義常(義通の嫡子で妻は景親の姉妹)が協力し松田亭を増改築して清盛の宿舎として提供せんとしたことを公家の日記である『山塊記』等で確認された。

松田亭の侍所は四百人以上の武士が詰めるだけの大きさであった。侍所とされるが、後年の御家人を統制し軍事・警察を所管する鎌倉幕府機関ではなく、武士が詰める場所の意であった。

しかしながら、京での政治情勢は複雑で反平家の陰謀もあり多くの問題を抱えていた清盛は多忙のために東国入りを断念した。清盛は要衝の地である松田に相模や武蔵を始めとする坂東武士団との主従関係を固める意図があったと推測され、それが実現しておれば、後の頼朝の挙兵も不可能になったかも知れないのである。

後にこの松田亭には源行家(源為義の十男とされる新宮十郎義盛)も滞在したことがあり、頼朝自身も富士川合戦の前後に松田亭を訪れている。訪れる前に中村宗平に命じて松田亭の修復をさせており、帰りには修復なった松田亭に入っている。頼朝はその後もしばしば松田亭に宿泊しているのである。

講師の山内氏は清盛の東国入りの計画を最初に発見したのは、歴史学者の多賀宗隼氏で『平清盛と東国』と題する論文で発表された。歴史学者で東国武士団に造詣が深い野口実氏がその論文を踏まえて松田亭の侍所を例に挙げて清盛の政治手法に迫ったものである。

自分はその二人の研究を皆様に知らせようとしたに過ぎないと謙虚に結ばれたが、先祖に関わることとはいえ、山内氏の鋭く粘り強い不断の探究心が無ければここまでの発表には至らなかったと思う。実に興味深い話が聞けたことを感謝したいと思う次第である。

▼ 二番目の発表者は川瀬和男理事で「暗殺疑惑の日本史」と題されて暗殺か否かは判然としないが、古くから疑惑を持たれている暗殺事件を幾つか取り上げて話をされた。取り上げられた人物は源頼朝・足利直義・足利義満・毛利隆元・武田信玄・蒲生氏郷・加藤清正・徳川綱吉・徳川家定・孝明天皇で、「歴史の謎を探る会」編の資料を元にされた興味深い話で、是非、続編をお願いしたいと思う興味深い内容であった。

その後は、湘南台の鳥貴族にて懇親会が開催され13 名が参加し大いに盛り上がった。
(竹村紘一)

第321回平成29年5月月例会

研究発表

演題① 「茅ヶ崎と“音貞”」
講師: 原田信作氏
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演題② 「欽明天皇とその時代」
講師: 橋本和子氏
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月例会レポート

5月21日(日)藤沢市善行公民館において、第321回の例会を開催した。参加者24 名。

今回の発表は、歌舞伎に造詣が深い原田信作氏と、古代史の研究を通して夢を追い続ける橋本和子理事の2名であった。

★最初の講演は原田氏で「茅ヶ崎と音貞」についてであった。淡々としているが氏の語り口は素晴らしい。演劇の舞台にどんどん引きずりこまれてしまう。

今回は、茅ケ崎ゆかりの川上音二郎と貞奴夫妻の物語である。この二人が近代日本演劇史に残した功績は大きかった。今から、32年前にNHKの大河ドラマ『春の波濤』を思い出した。明治・大正期の有名人が大勢画面に現れた。主たる配役は音二郎役の背の高くてかっこいい中村雅俊と貞奴役のバニーガールの衣装で登場し、大ヒットソングの『愛の水中花』を歌ったあの松坂慶子である。

それにしても茅ケ崎ゆかりの人物は素晴らしい。市川團十郎、加山雄三、桑田佳祐、平尾昌晃等々文化面での大物が多い。音二郎は、明治の始めに板垣退助等が起こした自由民権運動のさなかに自由党に入党して過激に政界を批判していったり、、「オッペケペー節」歌い政治と世情を風刺して大好評を博した。一方、藤沢地区での自由民権運動は、かなり盛んではあったが、近隣の地区に比べて動きは、はがゆかったといわれる。

★次の講演は橋本理事で、「欽明天皇とその時代」について力強くスピーチをされた。6世紀の出来事である。その前後の時代に朝鮮半島では新羅、百済、高句麗の各国が互いに抗争しあっていた。我が国「倭」もその争いのなかに巻き込まれていった。大和朝廷の命により朝鮮出兵が行われる際には、九州の人々への負担が多く、地方支配面でも不満が重なり大和への抵抗として豪族である磐井の乱が勃発をして内戦となった。

この頃、我が国に、紀元前5世紀にインドのガンジス川地方に起こった教えである仏教が、約1千年かけて、朝鮮半島経由で伝来した。欽明天皇の時代である。当時、天皇系は欽明系と安閑、宣化系との二朝が並立をしていたという。欽明天皇を支えていた渡来人との関係が深く、進歩的な考えをもっている蘇我氏は、神事と深いつながりがある物部氏の反対を押し切って仏教を取り入れた。そして仏教は豪族の連合政権から中央政権的律令国家へと変革を促す役割を果たした。さらに紆余曲折を経た後に、日本に定着して、その後の政治や文化に大きな影響を与えた。
(浅見実)

第320回平成29年4月月例会

研究発表

演題① 「偽書について①『信長公記』首巻と『史疑徳川家康事蹟』」
講師: 二階堂玲太氏
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演題② 「エドワード・シルヴェスター・モース(Morse)」
講師: 浅見実氏・里見絢子氏 (補足・修正)
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月例会レポート

★4月16日(日)湘南台市民センターにて第320 回例会が開催され参加者は21 名であった。

★最初の発表者は当会のベテランの二階堂玲太顧問で演題は「偽書について」で『信長公記』首巻と『史疑徳川家康事蹟』に関して興味深い話をされた。氏は時代小説の作家仲間と共同で『決戦!桶狭間』を執筆され、多くの疑問に遭遇され研究された。また、異色の作家として有名な八切止夫についても言及された。反骨精神旺盛で通説に果敢に挑戦したため敵も多く、遂には筆禍事件を起こしたとされ出版界から追放された人物である。私自身は同氏の本を数冊所持しておりそれなりの評価をしている。

講師は複雑多岐に亘る話を巧く纏めて発表された。
二番目の講師は当会理事の里見絢子氏で演題は「大森貝塚を発見したモースと藤沢との関連について」と題されて発表された。本来は当会副会長の浅見実氏が発表される予定であったが、前日の夜に胆石で救急車にて病院へ搬送されるハプニングが生じ、急遽、大森貝塚の出土土器を研究しておられた里見氏に代役をお願いした次第であった。里見氏は以前から浅見氏よりも発表の際に10分でも20分でも土器関係の話についてはサポートして貰えぬかとの話があったので、多少の準備が出来ていたので及ばずながらお手伝いすることが出来たとの前置きで浅見氏が用意されたレジメを使用しながら、自らが用意されたレジメにも触れながら丁寧に分かり易く話を進められた。大森貝塚とモースの名前は有名であるので知らぬ人も少ないが、発見の経緯とかモースなる人物の生涯となると知らない人も多い。

その後は例によって、懇親会が湘南台の居酒屋で和やかに開催された。
(竹村紘一)

第319回平成29年3月月例会

研究発表

演題① 「シーボルトの生涯とその実像」
講師: 槙良生氏
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演題② 「イワクラと縄文文明を継ぐ日本人のルーツ」
講師: 前田豊氏
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月例会レポート

★当会、神奈川歴史研究会の第319回例会は、3月19日(日)に、藤沢市湘南台公民館で開催をした。清々しい陽春の暖かい行楽日和であった。

春の彼岸のピークの日曜日でもあり、参加者があるいは少ないのではないだろうと心配をしたが、そんなことはなかった。いつもより多い32名の聴講者であった。その中には、横浜歴史研究会や江戸の会のメンバーの参加もあり嬉しかった。講師も大いにやる気になったみたいである。

もう一つ、関心を感心をしたこともある。本日は、花粉飛来が非常に多い日であるとの気象情報であったが、32名の誰もが花粉症に悩まされていないみたいであった。咳をしたり、クシャミをしたりしているものは皆無であった。年齢を重ねると『花粉症』を患うことはなくなると言われているみたいだが、その通りであろう。実感をした。

★最初の講演は、槇良生事務局長により「シーボルトの生涯とその実像」についてであった。幕末の外交史はとにかく面白い。良く調べており、聞きごたえがあった。

たまたま、自分は、何年か前に草津温泉のリゾートマンションの一部屋を、春から秋まで半年間借りて、時々訪れて、温泉三昧の日々を送っていたことがあるが、ここに行く途中の中之条町の六合(くに)地区で、そこかしこで『高野長英』滞在の地の看板を目にした。不似合いな地かもしれない。伝統的建造物群保存地区である赤岩地区でである。のどかな田舎チックな静かなところである。どうしてこんなところに長英はいたのであろうといつも疑問に思っていた。

彼は、もともと、シーボルトから長崎で蘭学を学んだ江戸の町医者であったが、モリソン号事件に際して夢物語を書いて鎖国の不可を主張して、番社の獄に連座をして終生入牢を申し渡された。その後、獄舎に放火をさせ脱牢をして、逃亡して諸藩等の庇護を受け、あちこちに滞在をした。そのときに、親交のあった当地の医師等の好意により、ここ中之条に滞在をしたらしい。こんなところにもシーボルトの影響があった。

確かに、ここなら江戸から離れており、山の中で見つかることもなかったであろう、その上日本でもトップクラスの温泉群が、ここには点在する。冬はあまりにも寒すぎるが、その他のシーズンは極楽である。シーボルトとから育っていった医学者、科学者は数十人にのぼるという。我が国の医学、科学分野に貢献した功績は多大なものがあるだろう。氏は平易に分かりやすくその生涯について、詳しい知識を述べていかれた。

★次の講演は、前田豊氏により「イワクラと縄文文明を継ぐ日本人のルーツ」について説明をされた。

イワクラとは巨石建造築物のことである。聖地・祭祀遺跡の側面もある。このテーマについて、他の研究者や愛好家が中心となり専門的に研究をする学会を2004年に立ち上げて、現在国際用語として世界に流通させるべく鋭意活躍中である。意表をついて自分の意見を構築するのに、とても参考になった。

氏の活動は独創的であり時代の先端を走っている。もともと本業である炭素繊維についての研究の他、不思議現象の発現メカニズムについての意識科学を突き詰められておられる。

さらには、秦の始皇帝の命で仙薬を求めて来日して、熊野または富士山に定住したという徐福や、我が国のどこにあったか定説の決まらない耶馬台国の東三河への位置確定の考察に、確固たる、理論的にユニークな学説を構築されている。守備範囲は広い。いずれについても著作があり、ネットでも購入できる。当会にもそのファンがいるかもしれない。

自分で行ったわけではないが、オーストラリアのアボリジニの聖地であるウルル(エアーズロック)に観光旅行で行った友人がいるが、そこの山の頂上には、水たまりにおたまじゃくしが泳いでいたと得意気に話していた。そんなことを聞くとなんだか行って確認をしてみたい気がする。

実際に自分で行ってみた巨石では、琉球王国の最高の聖地である斎場御嶽(せいふぁうたき)の大きな岩の迫力がある見事さに驚かされた。さらには、10年以上前の1月末頃に行った時、同じ沖縄の今帰仁(なきじん)グスクで見かけた濃い紅色の緋寒桜が咲いているのを見たときに、本土とは違うものを見つけたような気がした。

★2次会の参加者は22名。2時間近く、大いに盛り上がり、これまでの最大級のアルコール類をオーダーした。かってにめいめいが歴史について、勝手に自説を披露していった。皆がうるさくて聞き取れないところもあったが。
(浅見 実)

第318回平成29年2月月例会

研究発表

演題① 「新撰組生残り永倉新八・斉藤一の生涯」
講師: 渡邊幸太郎氏
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演題② 「横山忠弘著作集(1)(2)について」
講師: 横山忠弘氏
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月例会レポート

★藤沢市湘南台公民館において、第318回の例会を開催した。当日の参加者は22名で、やや少ないかもしれない。でも、会長、事務局長等、役員の一部は、若返り、今後の当会は、いろいろと新しい企画を出し実行していき、大いに発展をしていくであろう。

★最初の講演は、渡邊幸太郎理事により「新選組の生き残り永倉新八・齋藤一(はじめ)の生涯」であった。新選組は幕末に、京都の治安維持にあたった浪士隊であり、尊攘・討幕派弾圧に活躍をした。イメージとしては、商家より資金を強引に提供させたり、内部粛清があったり、怖い集団ではあったが、なにか興味をひかれるものもある、不思議な集団であった。

かってNHKの大河ドラマ『新選組!』により、好意的な演出もあり、親しみの印象を与えられたかもしれない。山口智充氏が演ずる永倉新八、オダギリジョー氏の齋藤一、ふたりの演技が懐かしく思い出された。

★次の講演は、横山弘忠新顧問により、同氏が発刊した二冊の論文集である「横山忠弘著作集及びそのⅡ」に関連したスピーチであった。とにかく、当会や他の会の役員・会員としての激務にかかわりながら、これほどのいくつもの論文を発表されたことは驚きであり、大いに敬意を表したい。

これまでも、氏は当会では同じテーマで、その内容の一部はお話をされているが、今回は、その集大成である。さらには、個人的な側面をも含めており、ほのぼのとした家族愛が感じられた。今後は、第一に、健康には充分ご留意をされて、さらに歴史研究を極めて、その後の発表を期待している。
(浅見 実)

新年特別講演会

研究発表

演題 「ミッドウェー海戦の真相と敗因を探る」
講師: 神奈川歴史研究会 新会長 竹村紘一氏

①定期総会 ②新年特別講演会 ③新年宴会レポート

★当会、神奈川歴史研究会の新年総会は、1月15日(日)藤沢市六会公民館で開催した。この会場の利用は当会では始めてであるが新設間もなく、設備も整っているし、小田急線六会日大前駅からも近い。なにしろきれいである。参加者は29名。吉成勇本部主幹もご出席をされて、当会のブリーフヒストリーを説明され、励ましのお言葉を述べられた。さらには、有り難く祝い金まで頂戴した。

★あらかじめ事務局作成の議事はたんたんと進められ、最後に当会の役員改選では、新会長に竹村紘一氏、新事務局長に槇良生氏、さらに新理事には小林道子さんが就任されて、大幅に役員の年齢層が若返ったことは頼もしかった。これからやるだろうという大きな期待感が生まれた。新会長の就任ご挨拶は力強かった。一方、長年にわたり当会の維持、発展に大きく貢献された横山旧事務局長の退任には一抹の寂しさが感じられた。引き続き顧問として残ってはいただいたが。

★恒例の新年特別講演は、新会長による「ミッドウェー海戦の真相と敗因を探る」のテーマによるお話であった。日米両軍間の戦力の分かれ目になった重要な處である。ミッドウェーは、ハワイの北西にある珊瑚礁の海域である。独特な自然資源も豊富であり、また鳥類特にアホウドリの大規模な繁殖地である。そこにかつてアメリカ海軍の基地があった。

というのは、ミッドウェー(Midway)とは、その名の通りに、カリフォルニア(アメリカ大陸)と東アジアとの中間点に位置しており、重要なアメリカ軍の基地がそこに所在していたからだ。そこでの日米両軍の壮絶な戦闘で多くの貴重な自然遺産がかなりの被害をこうむったに違いない。現在は、この地の自然は厳重に保護されている。

新会長は、日本軍の敗因について、自説もまじえて明快に説明していかれた、あっという間の1時間半であった。

★新年祝賀会は、会場を昨年と同じ藤沢商工会議所ミナパークで賑やかに行われた。総勢27名の出席者数であった。料理もアルコールもふんだんにあり、大いに盛り上がった。しばらく歓談のあと、当会会員のひとりひとりが今年の例会での発表事項または研究テーマ・抱負等について、意欲的にそして得意気に述べていかれた。

一人2分の持ち時間を大幅に超過しても、意に介することなく、とめどなく歴史上の新発見の自説を延々と話される人もいた。話題も多岐にわたり、時代も太古から現代まで幅が広い。

なお。歴史散歩は春には大山阿夫利神社を、そして秋には横浜の三渓園を計画している。いずれも、楽しみに期待している。今年の全会員の健康と幸福を祈るや切である。
(浅見 実)